広告・マーケティング

好かれるために広告打って、嫌われる

広告・マーケティング

「この媒体ならターゲットがよく利用しているため効率よく当てられます」
「1インプレッション(表示)あたり0円、と他と比較してもコストパフォーマンスよく運用できます」
「クリエイティブのABテストを行なった結果、契約に進む確率が高かったのはこちらです」
等々、広告の現場ではよく聞かれる話かなと思います。

けれど。
いち個人として生活している立場になると、
この「当ててくる広告」が本当に迷惑だと感じる場面が多々あります。
古くから、テレビCMでは視聴している番組を遮り、
企業のメッセージを無理矢理視聴させるという形式をとっていますが、
近年、特にデジタル広告の分野ではこの不快感が高くなっているように思います。

例えば、
<無料アカウントでYoutubeを視聴している時に、突然、一度だけ買い物したECサイトの広告がカットインしてくる>
<仕事で使うためインターネットで調べ物をしている時に、本当に効果あり!●●市場で一番売れている美容商品です!というウザいバナーがずっと出てくる>
など、発信側としては「効率よく当てられて」いるのかも知れないけれど、
受け手からしたら不快でしかない場面が多々あるのではないでしょうか。

つまり、ターゲットには確かに効率よくリーチできているが、
その結果として広告主への好意度が下がる、という事が多く起きているのではないかと思います。
本来であれば、広告主への好意度を上げることが広告の目的
(稀に、とにかく興味を惹けばなんとかなるという戦術をとるところもありますが…)
なのに、広告接触という手段を重視しすぎるあまり、
期待したものとは逆の成果を生み出している、と言えてしまうのでは。

これを解消するためには、とにかく生活者の立場になり、
どんなシチュエーションでコンテンツの視聴態度がどんな時に自社の広告と接触するかを想像し、
広告メッセージを発信していく以外に方法はないのかな、と。
クリエイティブの内容はもちろん、フリークエンシー(接触回数)のコントロール、
可能ならコンテンツの中における広告接触のタイミングまで気を使うことが求められます。

※ビデオリサーチさんが、広告の受容性について詳細に記した記事をアップしています
生活者に受け入れられる広告 メディア接触モードと広告の受容性の関係
https://www.videor.co.jp/digestplus/ad/2023/10/81342.html

もともと、広告は「能動的に見たくないコンテンツ」です。
生活者の貴重な時間や集中力を奪ってメッセージに接触させているのです。
最近は、デジタル広告の普及とともに「効率」にばかり焦点が合わせられ、
その前提が置き去りにされているような気がして。

一見、筋の通った論理のもと、お金と労力を使い「広告打って、嫌われる」。
そんな成果にならないよう、広告主も広告会社も今一度振り返ってみた方がいいですよ、と感じた最近でした。

以上。

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